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〜宮古島紹介〜


義務教育の目的は何か


最近では、学校教育・義務教育について一家言持たない人を探すほうが難しくなってきているほど、日本中いたるところで学校問題が議論されている。巷の酒飲み話、井戸端会議にとどまらず、各界知識人や専門家、政治家にいたるまで、誰しもが議題に載せながら、学校改革が遅々として進まないのは何故なのだろうか。それは、全体としてもそうだが、とくに専門家達の議論が、互いのイデオロギーの正当化にこだわり、義務教育の目的を失いがちだからではないかと私は見ている。そこで、話をいったんイデオロギーから引き離して単純化し、義務教育の目的、特に公立学校における教育である公教育の目的、果たすべき役割に視点を向けてみようと思う。

  現在、公立小中学校の授業のレベルが非常に低く、また、子供達の学力も著しく下がっており、誰もが進学をしなければ、社会人として最低限の教養や知識を得ることすらできないというのが一般的な認識となっている。けれども、大切な成長期をそのような低質な教育環境で過ごした子供たちが進学して、果たしてどれだけの成果があるだろう。やはり、義務教育は低質であってもしょうがないということでは済まされないはずだ。
 私が考えるに、義務教育が目標とすべきは、とりわけ9ヵ年、幼稚園を含めれば10年も国家が責任を持つような公教育の場合には、最低限社会人として、また国民として必要な知識、教養は義務教育期間中に身につけさせるだけの教育の質を維持することである。これは公教育の目標であるだけでなく、果たすべき義務でもあると私は考える。高校へ行けば少しはマシだろう、大学まで行けばなんとかなるだろう、といった先送りのやり方では、どこまでいっても子供達にまともな教養や知識が身につくはずがない。
  そういうわけで、まず何よりも必要なのが義務教育、公教育改革であると私は主張している。なんとしても義務教育期間中にこどもたちを一人前の社会人、生活者として、よき市民、国民として最低限要求される知識と教養、そして民主主義国家の国民としての意識を身につけさせる、そういう教育制度をしっかりと布くべきである。安心して教育を受けることのできる環境づくり、そして教科ごとに専門知識と深い理解をもつ教師と担任の役割分担、生活指導の徹底と問題行動に対処する為の警察や外部の機関との連携等、急いで打つべき策はもはや十分というほど提案・指摘されており、後は明瞭な目的意識と責任感をもって、その策を実行するだけという段階まできている。つまり、徹底した義務教育を施す為には、学校及び教育行政が、その全責任を担う覚悟が必要なのだ。そうとなれば、家庭でのしつけがなっていないから学校で子供が言うことをきかない等といった言い訳は許されない。集団生活、授業を受ける態度を指導し、守らせる責任は学校にある。子供のせい、親のせい、家庭のせいにせずに、教育の責任者としての責任を自覚したうえで、先に述べたような思いつく限りのあらゆる策をうたなくてはならない。

  こうして義務教育において質の良い教育を実現した上で、さらに高度な学問に興味のある子供達や学歴を求める子供達が大学、大学院といった高等教育機関へ進学をすればいい。戦後日本が追求してきた総高学歴化、つまり猫も杓子も高校へ、そして大学へ、あげくは大学院へ、そんなアメリカ式のやり方は、差別や競争をきらい落ちこぼれが出るのを防ごうとするわが国の風土においては非常に非効率で、教育制度を複雑にし、問題解決を先送りする結果をもたらした。日本は、他の国にそのまま倣おうとはせず、自分達にあったやり方で、合理的で質の良い教育制度を構築すべきであろう。

 今回は特に、政治が義務教育の責任を担う公教育の目的というものに商店を当てたが、当然、より教育の質を向上させ、また教育における選択肢を増やす為にも、私立学校の自由化といった政策も推し進めていくべきとの考えに異を唱えるものではないことを断っておきたい。

川満和彦